まもなく始まる、新潟の苗場スキー場で開催される音楽フェス、「FUJI ROCK FESTIVAL」。
今年も行きます。その前に、一度振り返ってみよう。
振り返ってみるのは、こちらの記事。
「フジロックに行ったら音楽がよく分からなくなってしまった」(2016年7月25日)
以前書いたものが、こんなにも読みづらいとは(笑)
今回、下記長きにわたって、少し手を加えて、書き直してみました。が、結論、それでも「よく分からなく」なっています。
という前提で、読んでいただければなと。
そんな思いで、リライトしました。
もくじ
「フジロックに行ったら音楽がよく分からなくなってしまった」
(2016年7月25日)
念願のフジロックへ行った。まず間違いなく今までで一番のフェスだったし、そして同時になんだか音楽がよく分からなくなってしまったフェスだった。
それはそれはすごい豪華なラインナップと、苗場の山奥という、場所の雰囲気のよさは、たまらなかった。バスの中から、初めて山の傾斜にずらりとならぶテントを見ただけで、なんだか期待させるものがあった。
現場は7月。夏真っ盛りではあるが、標高が高いので、昼間でもそこまで暑すぎるということもなく、日も暮れると少し肌寒いくらいである。
今回は一人で、ホテルでのアルバイトを兼ねての参加だった。
昼から夕方までホテルで働いて、それからフェス会場に向かうという流れ。昼間は多少なりとも暑かったので、見逃したバンドもあるが、3日間のライブ参加を考えると体力が消費されないし、むしろ良かったかもしれない。
記録がてら観たアーティストをひとこと付きで羅列してみる。
【7月22日】
illion :ゲストきてたあたりのタイミングがよかった
JAMES BLAKE :寝転がりながら聴ける幸せはヤバい
The Birthday :がなってる
SIGUR ROS :MVP。
DISCLOSURE :クソたのしい
D.A.N. :シガーロスの後に聴いたのもよかったかもしれない。今後が楽しみ。
MURA MASA :どすこい。どすこい。
【7月23日】
WILCO :おっさんかっけー
BECK :いい大人感がヤバい
細美武士 :これはあこがれる。
東京ホテル/toe :体感性がヤバい
Gateballers :ボーカリストと観客との闘争やら最前で男子が号泣してるわでなかなかにカオスだった。踊ってばかりの国の人がウキウキしてた。
【7月24日】
Ken Yokoyama :ケンさんって顔はおしゃれな感じだよね
BEN HARPER & THE INNOCENT CRIMINALS :うんうん。
RED HOT CHILI PEPPERS :あの一体感とレッチリのおじさん感。
BATTLES :なんだあのドラマーww
電気グルーブ :なんだろうか、あの後夜祭感は
羊文学 :いいじゃん!CDもライブチケットも買ってしまった!
ざっとこんな感じ。こんなに走り回って、いろいろ見れる元気がまだあってよかった。
気の抜けた誠意で、踊ろう。Gateballers
たとえば、「踊れる音楽」とはある意味遠いような、Gateballersのライブ。彼らはすごくリラックスしていて、気が抜けていて、本気というか誠意があった。
楽しい音楽だってもちろん好きだ。ディスクロージャーにせよムラマサにせよ、踊ってるからこそ感じられる楽しみがある。そう思っていた。「楽しめない」という意見に「踊ればいいじゃないか」という答えを返していたように。
つまり踊ることは意志をもったものであるし、意図的でもある。
とはいいつつも自然と踊っていることだってもちろんある。結果どちらが出発点でもいい。
なぜフェスはこんなにも居心地がいいのか。「いろいろある」、ということ
Gateballersはしっかりきかせていた。「羊文学」はごっちゃ混ぜの情報を彼女らの感性でひとまとめにぶつけることで、見ている人たちをハッとさせていた。バトルスはしっかりきかせた上で動きを生み出していた。
「しっかりきかせる」とは、気づいたら口を開けて聴いてしまっている、瞬間の連続である。どうしようもなく、応援してしまっている、その瞬間のことである。これはジャンルを問わないものであるし、そのときどきによって、ずいぶんちがうものである。
「フェスは”いろいろ”ある。それがいいな。」というのが今の感触。むしろ踊ることも、しっかりきくことも両方楽しめるフェスはだからこそ居心地のいいもの。
アーティストはそれぞれに居心地のいいやり方で演奏し、それがひとつのジャンルになっている。シガーロスなんて弓でエレキギターを弾いていて音の輪郭もわけがわからないがヨンシーにはすごいフィットしてるし、結果としてそれもジャンルである。
声なんてみんな違うし、演奏技術だってグッとくるタイミングなんて全然違う。「ちがい」しかない。でもそれが演奏してる本人にフィットしているなと感じるときや、オーディエンスの息と演奏者の息が合った瞬間など、ピタッと音がかみ合った瞬間は、それはもう生まれ変わったときのような、眠りから覚めたときの気分のような、クッキリとした景色を見せてくれる。
意志を持とう。すべてを取りこもう。
そんな話を『本を読む本』(M.J.アドラー作)という本を読んでいるときにおもった。読書は積極的に著者とコミュニケーションをとろうとすることからその楽しさは生まれるし、音楽も同様にライブにいったり、歌詞に思いをはせたりしていることが楽しむ上では重要な要素だったりする。
考えることは、深く理解すること、受け取って、消化する上で役に立つ。ただ、音楽を聴く上で考えることは役に立たないこともある。「考える必要がない」、ということも時には大事なのだ。
たまたまテレビでみたとき、CDショップで何気なく視聴したとき、フェスでふとステージ前を通りかかって耳にしたとき、瞬間で、1から10まで身に入ってくることがある。それはたった一言の名言にやられることにも似た、世界の変化である。
今、考える必要のない情報のパッケージがあふれている。発言力のある人の意見が正解になっていることも、誰にもかみくだれることのなかった言葉が回り回っているだけのことも、意志なんてもののないメッセージもある。もっと悪態をつけば、人のコメントやらばかり読まれていたりするモノがあったり、みんなが同じであることが尊いというメッセージを拾って安心させる機能を未だに持ったモノがあったりする。そんな中で踊る(動く)ことはやっていて気持ちが悪いし、そんなものを毎日見させ続けられることはもっと気持ちの悪いダンスフロアでしかない。
もちろんそんなパッケージにあふれている中で、「考える」ことは、疲れるし、面倒だし、眠くなるし、重いものである。しかし、その中で楽しもうとする意志が、笑って見せる意志が、1から10までを身体に取り込める唯一の方法なのではないだろうか。フジロックという素敵なフェスに行って、数万人の人の表情を見ているだけで、そんなことを切に実感させられた。
つまりそう、そんな風に音楽がよく分からなくなってしまったのである。