10月4日の記録。金木犀の香りと映画『TENET』

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前回からの更新から気づけばもう4ヶ月が経つ。4〜9月の2020年度の上半期を忙しなく過ぎていたら、あっという間にもう10月という季節を迎えていた。

このブログの目的というのものを時折考えてみるのだけど、どうにもそれらしい目的に思いいたった試しがない。ふとおもうのは、目的のない文章を少しかしこまって書くことができる貴重な機会なのかもしれない、ということ。曲がりなりにも数年も続けている中、ふとしたタイミングで2,3年前に書いた文章に目を通してみることがある。

そこで気がつくのは、当時は目的のない文章だったものが、今となっては真新しく、運が良ければ考えるヒントになる瞬間が訪れる、ということだ。無目的は、確信が持てないことの裏返しでもある。たとえば、数年前に「春や秋が好きなのは、季節のエラーがあるからなのかもしれない」と書いた。当時はただの思いつきで書き留めておいただけだったが、今数年経て触れるとハッとさせられるところが多かった。変化のあるところに目や興味は行き、何かが失われるところに価値の再認識は生まれる。もちろん無駄は無駄として終わるものがほとんどなのだけれど、無駄から生まれる価値や発見は、意図した試みからは生まれ得ない範疇である。ものの価値はそれほど流動的であり、「いつ」「誰が」「どのように」捉えるかによって異なるのだと、自分自身の“無駄”なメモを眺めながら思い至る。

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10月になり、金木犀の香る季節になった。毎年のことなのであまり気に留めてはいなかったのだけど、Twitterのタイムラインを見ているとフォローしてよく見ているアカウントでちらほら「金木犀の匂いがしてきましたね」「あれ、私の住む街には金木犀の香りがちっともしてきません」などと、「金木犀」にスポットライトが当たっている。なんだか珍しい。

たとえば「桜」「台風」「春一番」など、季節を代表することがらは多くある。ただ、よく考えてみれば「匂い」に関することがらについては、そう多くはないような気がする。季節に関して思いつくものといえば、「夏の夕立の後のコンクリートの湿った香り」、くらいだろうか。

そこで今年になってよく目にするようになった「金木犀の香り」である。僕自身は昔住んでいた家の目の前にたまたま金木犀が生えていて、とても馴染み深い匂いとして記憶されている。自宅は団地の1階にあった。その1階のお風呂場の外のすぐそばに金木犀が生えていたので、お風呂に浸かりながらよく金木犀の匂いをかいでいたものだった。

「匂い」を離れた人と共有することは難しい。ちょうど今日、クリストファー・ノーラン監督の最新作『TENET』を池袋のグランドサンシャインシネマで観てきたところなのだけど、最新の技術を持ってしても「映像」「音」「言葉」に「匂い」を付着することはできない。テレビを観ていても、紹介されている美味しそうなハンバーガーのお店の名前や場所、ハンバーガーのビジュアルなどは漏れなく確認できるけれど、その味や香りはそれを頬張る芸能人の表情や言葉からしか読み解くことしかできない。

だからこそ、「匂い」を共有できることには、少し特別感が生まれる。「この写真がきれい」「この文章が面白い」は簡単に共有できても、「匂い」はなかなか共有できないからだ。そう考えると「そちらでは金木犀の香りがしてきましたか?」なんてやり取りはなんとも趣深いなと感じ入ってしまう。どうでしょうか。みなさんの街でも、金木犀の香りはしてきましたでしょうか。