たとえ「嘘」だとわかっていても、感動は生まれる。

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「いいコンテンツって、なんでしょうね」と尋ねると、「リアリティがあるもの、じゃないかな」と答えが返ってきた。「リアリティは、生身の姿である必要はないと思っていて。徹底的に作り込まれた”嘘”こそが本物であり、”リアル”だと思う。」と続く。そんなやりとりを1ヶ月ほど前にしたことを、折にふれて思い返す。

時代を越えて、人に届き続ける映画やマンガや演劇などのコンテンツは、どれも誰かの手が加えられることによって完成している。「どうしようか」「作ってみたけど、こことここは順番を入れかえた方がおもしろいんじゃない?」なんてやりとりや、試行錯誤があって初めて作品となる。”あるがまま”は”撮影したまま”ではない。

”芸術なんて、なくなっても生きていられるものじゃないですか。ご飯を食べれば人間は生きてはいられる。でも、不思議なことに、映画やお芝居は、「僕らは嘘をついていますよ」ってみんなわかって観に来てくれても、ちゃんと感動して帰ってくれる。”
とも菅田将暉は語る。

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「いいコンテンツ」の答えに唯一の正解はない。誰に届けるか、何を目的とするか、どこで届けるか、によって答えはずいぶんと変わってくる。ラブレターの内容は誰しも違うように。日本で”おいしい”料理が、別の国では”味気のない”料理に変わることがあるように。

ただ、一番難しいのは、世界中の人に愛されることより、時空を越えていくことだろう。だからこそ、時代を越え、多くの人の目にさらされ、文化の壁を越えてきた作品には本物としての価値がある。そして得てして最初から価値が認められていたものは少ない。本当の本当は、いったいどこにあるのだろう。