僕らが「集う」と感じるときのこと

「集う」といえば、小学生のときの夏休みに行ったキャンプのときのことだ。たしか2泊3日くらいのキャンプだったのだけど、夕方になると毎日「夕べの集い」という集会があった。

「夕べ」なんて言葉を知らなかった僕は「夕べ(ゆうべ)」ではなく「夕べ(たべ)」と読んでいた。もちろん正解は「夕べ(ゆうべ)」なのだけれど、どうしても漢字とひらがなのアンバランス感がむずかゆく、(たべ)と読むしかなかった。

そうそう、「集う」がテーマの回だった、SUSONOラジオに出ました。やばこさん、さちこさんはとにかくやわらかい方で、ずいぶんと安心してしゃべってしまった。

「集う」っていうのはずいぶんと身体的な言葉で、ただ人が寄せ集まっているだけでは「集い」ではない。満員電車やスクランブル交差点に立って、「ああ、集っているなあ」と思うことはないように。

それとは反対に、きちんと共有されている状態で「集う」ことで、生まれてくるものはたしかにあるのだろう。たとえば下北沢とか吉祥寺みたいな街は人がぎゅっと集まっていることで、独自のキャラクターが出ている。そんな街はきまって本屋とか居酒屋とか中古レコード屋の居心地がいいから好きになってしまう。また、誰かが言っていたのだけれど下北沢は車通りがないことが、下北沢を今の下北沢たらしめたらしい。

そんなわけで、自然のある場所と同じように、人の集う場所が好きだ。パーティーとかクラブが好きとかではなくて、人だけでなく、愛されているものや、語られてきたものがあること、きっと大事なことの一つかもしれない。