変化の気づきは、”言葉にしないところ” にあるのかもしれない。

大久保

今住んでいるところはちょっと変わったところで、僕は2年間ほど海外からの留学生といっしょに暮らしている。いわゆる留学生寮だ。彼らはみんな、寮の目の前にある日本語学校で勉強をしており、その近さは学校のチャイムで朝目がさめるほどだ。

今日はちょうど、そんな日本語学校の卒業式でして。「入学したころは”あいうえお”くらいしかわからなかったのになあ……」なんて驚きながら、卒業生のスピーチを聞いていた。名前を読み上げられると、仲のいい友人がガヤを立てるのも恒例だ。

僕は日頃、いっしょに寮に住みながら、生活のサポートをしている。サポートとはいっても、「近所でなにがおいしい?」「どうやって携帯の手続きってしたらいいの?」などの日常の相談に答えるくらいだ。それでも相談に乗る以外のところでも日々寮生の姿を、半年間、1年間にわたって見ていると、これまでずいぶんとそれぞれに、あらゆるものの変化が見て取れたことに思い当たる。

そう考えると、変化の気づきは意外と、直接話したこと以上に、あいさつの反応とか、顔色とか、そんな”言葉にしないところ”にあるのかもしれない。2年間、自分も目まぐるしく変化する状況の中で、同い年である彼らにもきっと、同じような目まぐるしさがあったんだろうなあ。変化というのは、卒業式を迎えると不意に、見えてくるものなんですね。