突然ですが、とある機会があって、「問いを変えることでどう生活が変わったのか?」ということについて考える機会がありました。
「今までにそんな問いが変わった瞬間があっただろうか」
そんな風に、振り返ってみると、思い当たる出来事がありました。
「本当に楽しい?」というシンプルな問い
今までで自分を大きく変えた問いは、「本当に楽しい?」という問いです。そう聞くと、あまりにもシンプルで、特別なことではないように思われるかもしれません。
しかしその問いによって、自分の思考の全体が大きく変わったしまったといっても過言ではありません。
そのように、考え方がまるごと変わってしまったという出来事がありました。
高校時代の話
それは高校1年生の時でした。突拍子もないことを言いますが、「自らの欲求に従うことは悪である」、と信じていたのです。
今では「面白いな」と思えるほどなのですが、当時はそれは本気でした。「今”やりたい”と思っていることは、自分が”本当”に思ったことではない」と絶えず思っていたのです。
そういう風に、欲求として自然に生まれてきた意識に対して「それは本当に、自分の意識が純粋にそう思ったことなのか?」という問いを絶えず投げかけていました。それには、いろいろな理由があったと思います。
「操られているのではないか」という怖さ
一つあげるとすれば、当時は人という生き物がある種「操られている」という強い嫌悪感を持っていました。
「操られている」とは、よくある「情報過多でニュースからのバイアスを受けている」とか、「親からの言うことに影響されている」とか、そういった外的なものではなく、「そもそもそういう風に人間は作られている」がゆえに常に操られているのではないか、という内的で、どうにも避けられないようなことです。
そんな風に、ある種恐怖にも近い思いを抱いていました。
そのため、自分の内側から湧き出てきた思いをそのまま受け入れるということはありませんでした。考えに考え抜いた上で判断をする、というような、よく考え込むクセがついていました。
今から思えばきっと、アイデンティティを守ろうとする意識が強かったのだと思います。ですから当時は、「自分が本当に思ったことなのか?」という問いを持ち、自らの欲求を一度拒否した上で考え悩み続けることを、一つの美徳としていたのです。
きっかけは一冊の本に出てきたアメリカ人女性の言葉
では、どのように「自分が本当に思ったことなのか?」という偏屈な問いが、ある日突然「本当に楽しい?」という180度違うような問いに変わったのかというと、それは一冊の本がきっかけでした。
その本は水村香苗さんの『日本語が亡びるとき』という本だったのですが、不思議に今でも覚えているのがアメリカに住む女性の話がありました。
おぼろげな記憶ですが、たしかその女性はアメリカの片田舎に住んでいる家庭をもった主婦で、そこへ訪ねていった著者は「あなたはなんのために生きているのですか?」と聞きました。
彼女はなんと答えたのか?
そこでその女性が答えたのは、「私は、楽しむために生きているの。ーーそういうものじゃない?」という言葉でした。
おそらく、その著書で彼女は、様々なものごとに積極的に取り組む魅力的な人として描かれていたことを記憶しています。
「楽しむために生きている」
そんな考え方は当時、“楽しむ”ということを避けていた自分にとって衝撃的でした。
何を隠そう、「そんな生き方っていいな」と一度思ってしまったことは、後から否定しようとしてもできるわけではないのです。だって確かに、そう思ってしまったのですから。
そのように、「どう問いを変えたか」、というよりかは、一時の衝撃によって変えられてしまったのです。
もちろん、それまでのように「そんな簡単に受け入れてもいいのだろうか」といくらか思いましたが、“楽しい”ということをまずは受け入れることによって、純粋に力が湧いてくるようになりました。
どのように変わっていったのか
そうするうちに、自分のやっていること、選択しようとしていること、そのすべてにおいて、「自分が本当に思っていることなのか」という以前の問いではなく、「本当にそれは楽しいのか?」という問いを立てることで、徐々にとらえ方が変わってきました。
「もうさすがに考えつかれてしまった」ところもいくらかあるかもしれません。
悲観的にではなく、楽観的に考えるようになっていったのです。
「本当に楽しい?」という問いは、それ以降、今日でも続いているものでもあります。
もちろん、その時々によって、“楽しい”と思えることは変わってきます。ですが、「本当に楽しい?」という問いは、いついかなるときにも判断の基準となるような本質的な問いであると、今になっては思うのです。
追記)
チームラボの猪子さんが同じようなことを言っていて驚きました。
「感情を低次の次元として見ていた」「欲求は文化的影響なのかもしれない」「欲望を100%素直なものとして捉えられなかった」など、リンクする話ばかり。
9:30~ あたりからそんな話が始まります。