大きな川そのものをではなく、支流から流れを変えていこう

昔見た、何気ないものだけれど、ふとしたときによく思いうかぶことの中に、

「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」

という村上春樹氏の言葉があります。

※参照記事

【全文版】卵と壁 ~村上春樹氏 エルサレム賞受賞式典スピーチ

これはエルサレム賞という賞を受賞されたときのスピーチの言葉で、あまり意識しているわけではないのに、どうしても思い出されてしまうようなもの。

「なんでうかんでくるんだろう?」

なんて思えば思うほどに思考の片隅に居座りつづけ、「ふとしたときによく思いうかぶこと」代表として、連想されるまでにいたってしまいました。

もしかしたらそれは僕の性格や志向性というものに、いくぶん重なっているからなのでしょう。たとえば、全員が右と言えば、僕は左を好みます。みんなが好きなものを、嫌いになるように。みんなが受験勉強すればするほど、自分がしなくなるなんていう困った状態に陥ったようなことも過去にありました。

元のフレーズに戻ると、村上春樹氏のいう、「壁」とは大きな流れや、システムのことであり、「卵」とはそのシステムとは切り離された独立した個人のことを指します。先ほどの話と合わせると、僕は大きな流れにはどうやら乗りたくのない性格みたいです。

ただ、川のほとりでじっと寝転んでいるわけにはいかない、それよりかは流れに逆らってみたり、水の色とは違う色の絵具を流してみたりといったこともせずにはいられない、そんなところに志向性というのがあるのかなとも思います。

「Don’t follow the crowd」

という、the HIATUS というバンドの歌詞も心に残っているのも、きっとそれに近い理由なのかもしれません。

the-hiatus-horse-riding-ep.jpg

※こんなCDです。

「音楽と戯れる喜びと、覚悟」

http://ro69.jp/disc/detail/86009

これで連想シリーズは最後になりますが、

「川の流れを変えるのに、大きな川そのものを変えようとしても変わらない。それよりも支流をつくって、その支流に流れを呼び込むほうが、流れは変えられるのではないか。」

という、「原っぱ大学」学長の、塚越暁さんの言葉を思い出しました。

※こんな「greenz.jp」の記事に載ってました。

やりたいことをやるのではなく、違うなと思ったことをやめていく。greenz.jpプロデューサー塚越暁さんが「子ども原っぱ大学」を立ち上げたあと

http://greenz.jp/2014/09/09/harappa-daigaku/

これをみて改めて考えると、先ほどの「流れに逆らおう」というのは、ちょっと違うなあという気がしてきます。あくまでも目的は、壁に向かって卵をなげるような過程の上で壁に変化をもたらすことを、少なからず期待している、なんて気持ちも見えてきました。

そんなところで、これまでの話を振り返ってみると、正直システムがどうなろうが、川の流れがどうなろうが、究極自分の志向性には影響のない、それよりかはいかにどれだけ”自分は独立した個人という意識をもったものである”という認識が起点としてあり、”意志”という不明瞭なものをもっているか、きっとそういうところを、気づいてはいなかったことも踏まえて、最近は大切にしているなあと思うところです。

以上、村上春樹氏の『騎士団長殺し』を読みながら書いたがために神妙な文体になり、そして「連想から連想が生まれる言葉をつなげるとなにが見えてくるか」の実験となった投稿でした。