何が自分を動かすのか

「結局行きつくところは表現なんだな」

っておもうに至った今日の帰り道。就活とかしてると否応なしに自分のことをかえりみるんだけれども、これが結構難しい。そもそも自分のことを考えるのはそんなに楽しいことじゃない。逆に自分以外の人のことを考えるのはすごく楽しいというか、力になるもの。ジブリのプロデューサーの鈴木敏夫さんも同じことを言っているけど、朝起きたときに、自分のことを考えては起きられないけれど、他人の顔をおもい浮かべると一日が楽しみにおもえてきて、スッと起きられることは多い。

参照記事) スタジオジブリ名プロデューサーに学ぶ「仕事術」

自分をかえりみることに話を戻すと、そんな風に「なんで自分はこんな風に普段行動しているんだろう?」ということを考える。「なにが原動力なんだろう?」と。ひとつにはさっき言った、「自分以外のためなら動ける」というように、「他人を少しでも幸せにすること」なのかもしれない。人によってはいろいろな原動力がある。「お金のため」「家族のため」「自分を認めてもらうため」「夢をかなえるため」「後悔しないようにするため」などなど。

参照記事) Jeff Bezos: Regret Minimization Framework

→後悔の最小化っていうのは結構しっくりきた。

ざっとながめているだけでもおもうのは、「暮しの手帖」前編集長の松浦弥太郎さんが言っていたように、「仕事と暮らしはそんなに違わないんじゃないかなあ」っていうこと。たしかにたとえば家事を例にとると、暮らしの一ページみたいに見えてくるわけだが、ミャンマーのヤンゴンの路地裏であくせく洗濯をしていたお母さんにせよ逃げ恥のみくりちゃんにせよ、やってることはあくまでも仕事である。「でもそれはスーツきて働いているサラリーマンとちょっと違うよね」ってなんとなくおもえてしまうのだけど、よくよく見れば同じである。きっと自営業として、たとえば宿を家族経営的にやっている人なんかを想像してもらうと分かるとおもうんだけど、あれはもう見るからにライフワークである。彼らにきけば分かるが、「仕事って何?」ってきいて返ってくるのは「そんなもんわかんないよ。暮らしみたいなもんよ。」だ。そうつまり、仕事と暮らしは本質的にはそうキッパリ分けきれるものではない。

そんなことごとを踏まえておもうのは、自分のモチベーションはきっと「表現する」ことにある。

もちろん他にも「人のため」とか「理想の社会づくりのため」とかそれっぽいことはいろいろあるんだけれど、それは本質的なものでも根源的なものでもない。現在から推測される仮説にしかすぎない。

そしてもともとそんなに表現することが上手じゃないことも、原動力なのかもしれない。これがもともと口達者で、誰とでも仲良くできて、言いたいこともスパンと言えて、っていうスキルがあったら、かえってそんなにこだわることも、そもそも表現について考えることもなかっただろう。元野球選手の新庄剛志がどんなスポーツも得意だったけど、野球だけが苦手だったから、野球をやろうとおもった、という話があるように。そうきっと不自由さっていうのは、人がときには不幸がりたがるように、求めてしまうものなのかもしれない。

そんなこんなで昔は「小説家になりたい!」と言っていたこともあるが、現在はライターになりたいわけでもミュージシャンになりたいわけでもなく、別の形で表現する方法はないかということである。そんな表現方法を探している。(まだはっきりとはいえない。)

というわけでそんな表現方法が別に一つ見つかったよっていう話が来年にはできたらいいなとおもう年の初めでした。

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(季節は戻るけど近所で撮れた写真)