僕らはいつも「どうでもよくない」写真ばかり撮る。「二極化する空間」について

二極化する景観

僕らはいつも、「どうでもよくない」写真ばかり撮る。

タイ_夕日_海

旅行先での集合写真、すてきな風景、棚田の景色。そんなふうな多くの人の思い入れがつまった場所を撮っていることの方が多い。

しかし、この世界のほとんどの景色は、多くの人にとって「どうでもいい」とされている空間だ。

渋谷_工事

排水溝、人気のない河川敷、閑散とした駐車場。それらはすべて、ふだん誰からも意識されていないような空間だ。だから誰もそんな見慣れた、別に心地よくはないような風景を写真におさめようとはしない。

今回は、そんな「二極化する景観」について考えてみようと思う。

A) 所有者・利用者の領域意識が強く出ている空間

撮影場所:ベンジャキティ公園
撮影日時:9月13日13時42分

Aのこの写真は、タイのバンコクにあるベンジャキティ公園で撮影したものだ。利用者の領域意識がその都市の中でも強く出ている空間だ。

バンコク内にこのように広々とした公園はいくつかあって、そのどれもが都市のビルに隣接している。そのため、公園という景色の遠くにはいくつものビルが見える。

公園はそんな多くのビルのある空間を切り出して作られたような、領域のくっきりと意識された空間なのだ。

B) 多くの人が「どうでもいい」と思っている空間

撮影場所:渋谷駅西口交差点
撮影日時10月19日18時48分

Aに対して、「どうでもいい」空間はどうだろうか。Bの写真は、雨空の中渋谷の交差点にある歩道橋の上から撮影した写真だ。

そのエリアの歩道橋は長く円形につながっていて、利用者もとても多い。しかし、Bの写真の空間はてんで意識されていない空間だ。

なぜかというと、そこは絶妙に歩道橋の「くぼみ」ともなっている場所で、続く二つの写真のように歩道橋の外側の通りやその下の写真にある標識などのように目的的な目印のない空間だからだ。

つまりは、コミュニケーションの生まれていない空間だともいえよう。

まとめ

意識された空間と、「どうでもいい」とされた空間

AとBのどちらも都市にある、バンコクと東京の都市にある二極化された景観の写真には、「人々から意識されている」ものとされていないもの、それぞれの違いがはっきりとしたものであった。

この「どうでもいい」ような空間というのは、おもしろい。僕らはそもそも写真に収めたこともなければ、普段じっくりと眺めてみたこともない。この一年で、あったとしても指折り数えるほどだろう。

そして、意識された空間には領域がはっきりと存在するが、「どうでもいい」空間には領域らしい領域が存在していないことのほうが多い。だから「どうでもいい」空間には多数の意識のレイヤーがつまって入り組んでいることも多い。

そんなあいまいな空間にも、じっくりと目を向けていったら面白そうだなあ。