『善悪の彼岸』(ニーチェ)書評

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『善悪の彼岸』(ニーチェ)

『善悪の彼岸』というニーチェの本、一度は聞いたことがあるかもしれません。

今回はかのそんな有名な哲学書を読んでみました。

わかりませんでした

はっきり最初に言っておきますが、説明不可です。

今までの本棚シリーズは「こんなところが面白くて~」と本の中の話を印象に残った一節とともに取り上げていましたが、今回は無理です。

ニーチェさん、すいません。

本当によくわかりませんでした、、、(泣)

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(つらすぎるので彼岸花に思いをはせてみる)

ーー「むりむり」と駄々をこねていても話が進まないので、読み終えた後に表紙に書いてある要約の文をちょっと見てみました。

ニーチェ(1844‐1900)はキリスト教的道徳のもとに、また民主主義政治のもとに「畜群」として生きつづけようとする人々に鉄槌を下す。彼にとって人間を平等化、矮小化して「畜群人間」に堕せしめるのはこれら既成の秩序や道徳であり、本来の哲学の課題は、まさにこの秩序・道徳に対する反対運動の提起でなければならなかった。

とあります。

そんな話だったんかい

まだあまりピンときません。

そういえば3日で読み終わったのはなんでだろう

ちょっと冷静に振り返ったらそういえばすぐ読み終えられたのはなんでだろうという疑問が湧いてきました。

「難しい本」というのは、きまって読むのに時間がかかり、しまいには読み切れずに終わる、なんてことが多いものですよね。

しかし、『善悪の彼岸』はすんなりと読み終えられてしまったのです。

冷静に振り返ってみて、きっと理由はこんなところにあったのではないでしょうか。

・章立てが細かくされていた

・短く名言風に言い切られている内容が多かった

・日常的な内容に多く触れられていた

からかなあと。

訳者によるあとがきにも、

「この『善悪の彼岸』では最も「近く」を、身辺にあるものを、われわれの周囲を見るように強いられる」

とあるので、最後の観点とかはあながち間違ってはいないのかもしれません。(ひと安心)

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ざっくりこんな内容でした

ニーチェ先生って、実は「随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる」(wikipedia)というように、「散文的」に書く人なんです。

散文的というのはざっくり言って、「ポエム風」みたいなものです。個人的にはあおられる感じでかえって読みやすかったです。

「たぶん要約としてはこんな感じかな」というところをまとめると、

・「道徳」は「善悪を越えたところ」にある

・「真理だ」と思っていることは、実は自分の信仰とか意志によるものが多い

・みんなもう少し自覚的に自分の志向するところのプロセスを考えてみよう

なのかなあと。

ここにもうちょっと本が書かれた当時の時代背景とかが入るとまとめ的にはいい感じになります(と思うのでみなさんよかったら取り組んでみてください)。

印象的なフレーズにコメントを返していく

もうよく分からなかったので、最終手段。

「コメント返し」です。よく分かっていないくせに「なんとかこれを読んでくれている人にも全力で分かってほしい」と必死です。

  1. 「最後に問われるのは、われわれが意志を本当に結果を惹き起こすものとして認めるかどうか、われわれが意志の原因性を信じるかどうか」

    →結果は結構意志(モチベーション)に左右されますよね。

  2. 「われわれは意志の原因性を仮設的に唯一の原因性として設定することを試みなければならない」

    →意志という結果に至る過程にこそヒントが隠れているかもしれないから、原因性を多角的に見てみよう。

  3. 「民族とは、六人か七人の偉人に達するために自然が取る迂回である」

    →コミュニティは集団となった瞬間に生まれてくるんだね。

  4. 「結局のところ、人々が愛するのは自分の欲望であって、欲望の対象ではない」

    →「人のほしいもの」って自分も影響されてほしくなってしまうこと多いは。ホンマや。

  5. 「道徳もまた情念の一記号にすぎないのだ」

    →道徳も情念(意志)の象徴だとしたら僕らが道徳的だと思っていることって、真理でもなんでもなくてきっと信仰的なものなんだろうね。

おわりに

ひと通り振り返ってみたら少し内容がクリアになったんでよかったです。

ときには自分の理解をはるかに超えるものも手に取って読んでみると面白いかもしれません。