『これからの教養激変する世界を生き抜くための知の11講』レビュー

「これから」と「教養」が結び付けられるようになったのは最近のように感じる。以前であれば「教養」は「過去を知ること」「古典文化を知ること」とよく結びついていたような気がするのだけれども、より「活かしていく」というような文脈から「教養」は語られるようになった。

それには「わかりやすいもの」よりも「わかりにくいもの」を受け取る中で、「わかりにくいもの」をどうあつかっていったらいいのかという問いが社会に共有されるようになっていったからなのだと思う。

『これからの教養 激変する世界を生き抜くための知の11講』の中ではさまざまなジャンルから「教養」について掘り下げられている。

読み終わった感想としては「教養」というワードを意識せずに読んでいたことへの驚きだ。そもそも「教養」は各論であるし、全体感を持って語ろうとするこはできないことへの気づきを得られたことが、本著を読んで一番よかったなと思うことである。

内側から見てみることで「パッシヴに見えるアクティヴ」があることがわかってきたんです。心理実験によって、 自分がなにかをアクティヴに触りにいくのでなく、だれかによってパッシヴに触られて得られた知覚こそが、じつはアクティブに世界に向かう生命の存在を認識するためには重要である という気がしています。

これは人工生命研究で著名な東京大学の池上高志教授の章のインタビューで語られていたものだ。

「アクティブさは何かを受け取ることによって始まる」のようなことについて述べられていた気がするのだけれども、これを読んでやはり僕らは「わかりにくいもの」に対して、より「受け取る」ということにセンシティブであるべきだということを感じた。

そもそも「生命」ほど「わかりにくい」ものはないし、その「内側」についてはその持ち主である自分すらも知り得ぬものだ。

そして本の中では他にもアート、建築、文学などさまざまな分野で活躍されている方に、編集者・菅付雅信が尋ねる中で引き出されるそれぞれのテーマについて掘り下げられている。

そんなバラバラに見えるそれぞれのインタビューに共通したものがあるとすれば、「わかりえぬもの」をひも解くためには「どうひも解くか」ではなく「まずどう受け取るべきか」にヒントがあるような気がした。