偶然性と必然性のはざまにある、絵画のような本。村上春樹の『騎士団長殺し』を読んで

村上春樹の新刊『騎士団長殺し』。

***
音楽アーティストであるようなベスト盤CDのようにこれまでの作品を踏襲しまとめ上げたという感じもありつつ、切れ味のするどい一つの新しい物語でもある。村上春樹作品を読んでいてよくあるのが、「これは偶然にかたづけられ過ぎてはいないか」と思うこと。たしかに、偶然にもそう思った、判断した、ということが明示されてまで書かれている箇所は多く、現実離れしすぎている、という批判を受けることが多いこともたしかである。

だが本当に私たちの現実にははたして「偶然性」というものがまるっきりないだろうか。それとは反対に、必然的な選択というのはいくつあるだろうか。
***

そんなことを『騎士団長殺し』の第1部を読み終えて思いました。これは第2部を読み終えても、ほぼ同じような印象でした。

ただ、第2部においては、初めそれほど客観的な目で見てたにも関わらず、気づけば圧倒的主観で読み進めていました。そして、なんとも茫然としてしまう読後感でした。

『騎士団長殺し』の中心には、「絵」があります。主人公は画家で、肖像画を得意としています。

肖像画というと、普通は見た目と同じように描くことが求められますが、主人公は見た目を意識しないで描き、結果として見た目とは違うけれども「その人らしい」絵を描きます。主人公が描くときに大切にするのは、その人の雰囲気や、性格からにじみ出る輪郭みたいなものです。1,2時間話し、あとはその人を見ずに描く。そんな風に描かれた肖像画を見て、描かれた人は、今まで知らなかった本当の自分を見たかのように驚くーーそんな風に驚かせる才能が、主人公にはあります。

***
そう、『騎士団長殺し』は、そんな肖像画のような、見た目以上に本物らしいような、寓話性に富んだ作品、というような気がしてきます。

どんな偶然性も、どんな判断も、現実世界のリアル以上にリアルである、そんな『騎士団長殺し』という絵がストーリーを通して見えてくるような、不思議な作品です。

「そういえば生活の多くは偶然性に満ちている」ーー偶然性とは、そんなものなのかもしれません。