田舎へのあこがれと分断と。──『田舎の未来』(さのかずや)

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田舎の未来

田舎はあこがれ。だけど未来が見えずらい──

さのかずやさんの『田舎の未来 -手探りの7年間とその先について』という本を読んでいたら、自然と「田舎」のことに思いを巡らせていた。

昔から、田舎にはずいぶんとあこがれがある。

もともと住んでいた地元はそこまで都会というほどではないが、都会へのアクセスはそれなりにいいくらいの場所にあるような、でも田舎ではない、都会と田舎の中間くらいの場所だった。

あこがれがあったもので、田舎へはよくいった。

実家からアクセスがいいおばあちゃん家には小さいときからよく行ったし、大学生になってからは東南アジアの田舎を巡り歩いたりもした。海士町にもいった。新潟の雪山にわざわざいって、竹を何週間も切りにいったりもした。

あこがれだったのは、田舎が僕にとってはいつも真新しかったからだ。日本の各地の、いわゆる田舎と呼ばれるところにはよくいったが、どこも、食べ物も、話す言葉も、人の感じも、自然も、ちゃんとみれば、随分と違っていた。同じ”田舎”ではなく、新しい何かがあった。田舎から感じる新鮮さは、ちょっとクセになる。それは日本の田舎も海外の田舎も同じだった。

ただ、「海外と日本の田舎の違い」として感じたこともある。「日本の田舎には、若い人が全然いない」ということだ。

本書の著者、さのかずやさんが島根県津和野町にいったときに「普通に若者がいるってすごいな」と感じたように、僕もタイの山奥にいったときには、「こんな山奥にある小学校にも多くの生徒がきているのか」と驚いた。

「若い人がいない」ことは、シンプルに「未来の描けなさ」に通じる。

若い人が多い田舎では自然と将来の話がされる。一方で、若い人がいない田舎では、将来の話が自然と避けられる。

田舎のいく先々で、わずかに残る若い人にも話を聞いてみたことがある。「田舎に住むってどうなの?」と。返ってくるセリフは「仕事がない」「勉強するなら都会の学校へいく」などなど。「まあ、都会の満員電車に揺られるよりはよっぽど、暮らすにはいいんだけどね」ととある男子高校生がぽつりとこぼしたようにいったことをおもいだす。

そう、暮らすにはいい。

ごはんはおいしいし、ストレスはないし、時間もある。ただ、”未来”にはほど遠いようだ──とその男子高校生はいっているようだった。

北海道の遠軽町という田舎に生まれ、育ってきた著者のさのかずやさんは、こう述べている。

ぼくたちは、特別がんばらなくても生きていけるけど、特別がんばることも許されないような絶望の中で生きている。でも、特別がんばらなくてもぼくらは生きていけるというこの国の幻想は、2011年3月11日に脆くも流されていった。

田舎にあるとされていたような未来は、もう幻想となりつつあるのかもしれない。

ただ、この本がおもしろいのは、「それでも」と”手探り”で身の回りの違和感について考えたり、悩みながらも東京で働いたり、地元で事業を始めたりしている、ひとりの姿があるからだ。

みんなが『当たり前』とか『しょうがない』とか言うことしかないことに対してなんとなく感じている違和感を、そのままにせず、それがどういうことなのかちゃんと考える」というようなスタンス

と著者も述べている。この本で語られていた言葉はどれも手触りがあって、違和感に向き合い、横に並びながら後押しをしてくれているような優しさがある。

特に奇抜なことや、目立ったことが書かれているわけではないのだけど、「ためになる」よりもずっと価値ある「身になる」視点にあふれた本であることは、控えめにいっても間違いではないだろう。

そういえば、地方の本質的な課題、みたいな話については、「なぜ、いま地方が面白いのか?!」というテーマで元WIRED編集長の若林恵さんが自身のポッドキャストで話している内容にも通じるところもあるような気がする。12:00以降くらいの箇所で以下のように話されている。

新しい価値観が地方で生まれ始めて、感化されたような東京の人が地方に入ってくるじゃない?

でも、地元の人はそういうものから遠いところにあるじゃない。

「よそ者がなんか楽しくやっているな」、というよそよそしさがあるんだと思うし、それこそが本質的な課題だとおもう。

都市と地方。田舎の未来。

田舎はあこがれるところばかりではないのだと思うようになってきたのは、実際にいったり、田舎の人の話を聞いてからのことだった。

それでもまだ「田舎」との距離は、ずいぶんと遠いように感じる。

距離を縮め、都会からも、田舎からも未来を見るために、また折にふれてこの本を手にとってみたいとおもいます。

◼︎紹介した本↓