テレワークな1日のルーティンを、備忘録がてら、ここ最近の過ごし方の平均値的なものとして残しておく。
テレワークになってからというもの、目覚ましで目覚めることがずいぶん少なくなった。睡眠時間が十分に取れるようになったからだ。どうやら、調査によると全国的に平均睡眠時間は伸びているみたいだ。自分の身体が求める睡眠時間が人よりも少し多いがゆえに、これだけでもテレワークをしているありがたみを感じる。
顔を洗いに洗面台の前にきた。タオル脇にあるヘアワックスを見て、「ああ、髪の整え方を忘れてしまった」とつぶやく。もうずいぶん使ってないので、フタを開けるのすらためらわれる。
20分ほどの散歩から帰宅し、妻のつくってくれたスムージーを乾いたのどに流し込みながら、Macbookを立ち上げる。もうこれで仕事を始められる。もともと、毎朝会社に行くまでの過程に、少なからず思い悩まされていた。満員の通勤電車、毎朝の腹痛のストレスから解放されるだけでも、テレワークのありがたみを感じる。
とはいえ、会社に行くこと自体は好きだったので、手放しでこのようなテレワークな日々を喜べない気持ちもある。人体工学的に最適化された椅子と机、フルシーズン心地よく過ごせる空調が効いている環境があることはもちろん、いっしょに働く人と空気感をともにできることは、何よりの励みだったと感じる。
ただ、視覚やら聴覚やらがやたら過敏で、何をしようにも絶えず気が散ってしまうので、その点テレワークだと気が散ることなく集中時間が保てるというメリットも存分に感じる。ただ、集中カロリーを使いすぎた結果、ぐったりと疲れてしまう日もある。……と、それぞれのメリット・デメリットをいったりきたりしていて、どちらか一方だけがいいというものではないのだと思い知る。
時は12時。仕事をしている手を止め、キッチンへ行き、鍋でお湯をわかし始める。2人前と少し多めのパスタを投入し、8分ゆであがるまで待つ。ゆであがり、器に移し、パスタソースを絡め、冷蔵庫にストックして置いたレタスを添える。Netflixや映画やテレビなどをその日の気分でつけながら、同じくテレワークに励む妻と二人でパスタを食べる。もちろん日によってパスタ以外だって食べる。
パスタを食べながら、基本テレワークになってから、自炊する機会が増えたことを思う。これまで自炊する機会もあったが、週に2、3回もすればいい方だった。それが、テレワークになってからというもの、ほとんど自炊の日々なので、1回=1食分とすれば、週に20回はしていることになる。もちろん、近所のパン屋、コンビニ、飲食店のテイクアウトを利用することもあるが、せいぜい週に1,2回だ。
もともと自炊、料理をすることは好きだったので、毎日自炊できる楽しみがあるのはずいぶんとうれしい。もちろん買い物、準備、調理、片付け……など手間や時間はそれなりにかかる(そしてあえて手間のかかる料理に取り組んでしまう)。「面倒だな」と感じることだってある。それでも、「この自炊の楽しみをこれまで奪われていたのか」と思うほどに、料理をただ食べるだけの楽しみを越えた喜びを、日々もたらしてくれている。
料理をするようになって気づいたのは、料理“的”なことが自分は存分に好きだということである。料理“的”とは何かというと、素材を使って料理することによって、素材そのものを越えた価値へと転化させることだ。たとえば記事ひとつを取ってみても、同じことが言える。「中華料理にするか…イタリアンにするか…」といった具合に企画し、情報を集め、構造を整理し、見出しや画像というエッセンスを加え、一語一語の細部にまで配慮し、アイキャッチ画像やタイトルで盛り付けをする…といったように。
もちろん、素材そのものを食べてもおいしいことは、いくらでもある(なすとかピーマンとかをただ焼いてひとつまみ塩添えるだけでめちゃくちゃおいしいので、みなさんぜひやってみてください)。だけれども、そこに「料理」という手間を(わざわざ)加えることによって、より食べやすくなったり、満足感が増したりする。料理することによって、素材の味を悪くしてしまっては元も子もない。料理人にとって大事なことは、素材の味を生かすこと、素材そのものを越えた感動や満足感を生むこと。あえてやるからには、素材も、相手も、裏切ってはならない──などと思いをめぐらすが、たかだか自宅で自炊しているだけ。
昼食をとり、近所を20分ほど散歩する。
今住んでいる場所に引っ越してきてから半年がたつが、自宅の周りの散歩コースの充実具合に驚いている。ほどよく広い公園がいくつもあり、川も2本あり、大きな駅もなく静かな雰囲気と、これ以上ないくらいに充実している。
散歩は朝することもあれば、昼にすることもあれば、夕方に買い物ついでにすることもある。要はいつでもしている。散歩中は、ポッドキャストを聴くことが多い。
(Takram Radio しかり、決まって10チャンネルほど毎週聴いている。お気に入りの番組の毎週の放送をちゃんと追えている満足度がすごい)
帰宅し、再び仕事に戻る。家の中での仕事の仕方には、色々な工夫が試みられた。立って仕事ができるスペースを棚の上に設けたり、座椅子を買って床で仕事できるようにしたり、アウトドアチェアを買ってベランダで仕事ができるようにしたり……といった次第。あくまで個々人によって相性は大きく変わってくるとは思うが、自分の場合は複数ワークスペースがある方が仕事がしやすい。
(こんなnoteにもまとめている↓)
仕事が終わる。というより「無理やり区切りをつける」に近い。自宅で仕事をしていると無限に仕事ができる(やめ時がわからない)というモードに入りやすいからだ(テレワーク当初はこれに散々悩まされていた。これまでは「電車に乗って家に帰る」という“儀式”がモードを切り替える役割を担っていたと気づいた)。というわけで「PCを閉じる」「Wi-Fiの電源を抜く」「スマホも電源を落とす」といった対応をやむなくしている(時々)。あとは「本を読む」という“儀式”も個人的にモードを切り替えるときに重宝している手段の1つ。散歩もよい。
(寝る前に「翌日することをカレンダーに入れる」もよかった)
と、「テレワークな1日」の過ごし方について振り返ってみた。なんだかまとまりがない感じになってしまったが、1日の過ごし方にまとまりが生まれた試しなど、そもそもなかったような。