2018年 年始

2018年 年始

Created
January 3, 2018
Tag
Essay

新年、あけましておめでとうございます。

さっそくですが、こちらは昨年作成した、Suchmosが気になってしまったあなたへという妙なタイトルのプレイリストです。

聴きながら読み進めてみるのもいいかもしれませんね。

さてさて、毎年恒例「今年、どうしましょうか」という話を、今年もつらつらと書いていきます。

目次

まずは2017年を振り返る

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まず2017年を振り返って絵にしてみたところ、上の写真のようになりました。

2017年を振り返っていた場所は、とある大学のキャンパスにて。かつてレスリングを極めた友人に誘われて、彼と社会人1年目の女性との、合わせて3人で振り返る、という会がありました。楽しかったですね。

参考にしたのは、下記のマニュアルです。

ライティング中心の一年でした

結果として、2017年は「メディア畑でいろいろ仕事をしたなあ」という一年になりました。実はそれまで仕事(主にインターン)として「文章を書く」ということをしたことがなく、「ライティングらしいライティング」は今年が初めてで。

キャリア系コラム、Webマーケティング記事、イベントレポート、住宅系記事・・・と、ジャンルはいろいろ。「書くのは好きだし、ちょっとやってみよう」と思って、気づいたらここまで来ていました(笑)。最初は「なんなく書けるっしょ」となめてましたが、これが大変でして。「論理的に」「相手にとって分かりやすいように」書くという個人的には最大の関門を、今年はなんとかクリアできたような気がします。

プライベートでも気づいたら書いてました

また、プライベートでもいろいろと書くことが増えました。

すでに「もう80記事!!」という域に達してましたが、それまで毎日書いていた日記をWebに移してよかったなあと。住む場所をかえると気分がガラッとかわるように、書くことの楽しみというのも、場所を移すだけですっかり新鮮になるんですね。

・日々の日記はこちらから→「もりぞー生活」(noteマガジン)

そんなわけで、「(朝)書き起こし→(昼)記事執筆→(夜)趣味記事執筆」という日々もしばしば。昔、受験勉強の合間に、勉強している図書館で受験勉強には一切関係のない本や雑誌を読んでいたのと、あまりかわらないといえばかわらないのかもしれません。今年は卒業論文もあったわけで、ずいぶんとキーボードを叩いたなあ。

メディア云々と関係ないところでいえば、タイへ里帰りをしたり福岡に温泉合宿しに行ったりしてましたね。とまあそんな2017年でした。

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(なぜか市場でフルーツ売ってました)

2018年。「社会が変わるとき、自分はどうしよう?」

さてそれらを振り返りつつ、2018年をば。

2018年をひとつ考えたときに、「社会が変わるとき、自分はどうしよう?」ということがあると思います。

しかしだ、変化の現場に身をおいて「巨視的に見る」のはたいへんに難しい。「変化なんて必要ないんだ!今までの通りにやらないから上手くいかないんだ!」という幻想の世論のなかで「いや、それは違うんだ。自分は先に進まなければいけないんだ」と信じ続けること。このハードルを超えることが今年最大のチャレンジになる人が多いと思う(その筆頭は僕自身)。

そういうのは、発酵デザイナーの小倉ヒラクさん(参照:『2018年は、前に進む自分を信じる年だ。』)。具体的には、「複数の現実が並行するパラレルな現実」に対してどうするか、という話です。

ブログを読んでいて目にとまったのはたぶん、「自分に自信をもつ」ということが、すでに試されているような気がしたから。以前にSUSONOのトークイベントで松浦弥太郎さんが「自信ってどうやってもったらいいんですか?」という質問に対して、

自信をもつ方法は、「自分で自信をもつ」。自分でそう思えばいい。そうすると、けっこういろいろなことを解決してくれるから。

と言っていたように、「自分がそう思えるか、思えないか」という受け止め方の問題は、けっこう大きいんじゃないかなと思うんです(ちなみに当日の参加者は弥太郎さん愛にあふれた人が多くて、弥太郎さんの話題でずいぶんと盛り上がりました)。

「自分でそう思えばいい」ーーそんな風に、自分で自分を後押しすることは簡単ではなく、それなりな準備が必要です。たとえば、自らの「細胞」自体を鍛えるということは不可欠だなあ。また、自分で自分を後押しするには、意外に思われるかもしれませんが「自分以外の人の力」が必要となってきます。

つまり、「自分に自信をもって、個人で生きていく」というのは、自分一人で完結するようなものではなかったりします。むしろ、「個人と個人で生きていく」ということに近くて。だから、お互いがお互いに分断されるのではなく、心地よく手を取り合っていけたらなあと(どうか力をお貸しください……笑)。

「自らの細胞自体を鍛える」ことについて。本『デザインの輪郭』より

最後に、「そういえば、”自らの細胞自体を鍛える”って何さ??!」っていう疑問がひとつ消えていないと思うので、ヒントとなった工業デザイナー深澤直人さんの著書『デザインの輪郭』から下記を章を紹介して終わりにしたいと思います。

『自分を決めない』(深澤直人)

僕はゴールをもたないし、執着もしない。

こうできなきゃいけないというかたちを

自分ではいっさいもたない。

ただ、スッとして、

そのアクシデントを許容するということの美学が好きです。

自由であるということは、細胞しか鍛えていないということです。

何をするためにその筋肉を鍛えるかじゃなくて、

単に「鍛えている」ということです。

そうすれば、どんなゴールにでも行ける。

どのゴールなどと決めたくない。

僕はこういうデザイナーであるなんてことは絶対決めない。

偏って肥大した筋肉がきらいです。

今年もよろしくお願いします

そんなわけで長くなりましたが、今年もよろしくお願いします。みなさま各位、毎年お世話になってばかりですいません……。

それにしても上の深澤直人さんの本がとんでもなくよかったなあ。最後にしっかり「きらいです」って言い切っているところも好きだったりする。

今はなぜか一人で鹿児島産芋焼酎を飲みながら「3が日」のフィナーレを迎えているところ。卒業までに一度インドにはいくかもなので、「ここでは散々な目にあった」場所をご存知でしたら教えてください。よろこんで、散々な目にあいに行くので楽しみにしていてください。

それではみなさん、よいお年を。

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(帰省先の実家の近くで撮った一枚。)