Created
January 5, 2020
Tag
Essay
タイの山奥で3ヶ月間過ごしていたときの話。日本からタイへと向かう前、何の本を持っていこうかと家を出る3分前くらいに考えた。そこで手をとったのがアランの『幸福論』という本。そしてタイの山奥で暇だったときに読みふけっていた。10周くらいは読んだ。
「悲しみのマリー」という章に、このようなことが書かれている。
不幸な人間は、すばらしい出来事でさえもむずかしいことだと一笑に付してしまうから。だから、幸福のなかには人の思っている以上に強靭な意志がある。
「悲しみのマリー」は、身に起こることすべてを不幸にしてしまう。ほめられると笑いものにされているように感じ、親切にされると、侮辱されているように感じる。──そう耳にしても、なんだかどうも他人事とおもえない感覚から、今でもずっと覚えているフレーズのひとつ。そう、幸せになるためには、「意志」が求められている。
特にこの年末年始に、そのことを強く感じた。多くの人が「幸せになるためにポジティブな意志をもちたい」と表明していたからだ。思いつく限りで10〜20くらい、そのような投稿、記事を見かけた気がする。
この世の中の不正義とヘイトに、愛とエンパシーとユーモアで立ち向かえる力をつける
もうめんどくせえから、なるべく「面白がる」ことにしました。嫉妬してても、何も生まれない。目を背ければ、学ぶものはひとつとして無くなってしまう。
「面白がる」から逃げない、という表現はとてもうまいなあ。「幸せな意志をもとう」「ポジティブさを忘れずに」などの使い古された表現より、ずっとしっくりくる。「面白がる」から逃げない。『幸福論』を書いたアランもきっと今に生きていたら、そういうような気がする。