“わからない”が生む期待と不安

“わからない”が生む期待と不安

Created
March 29, 2020
Tag
Essay

昨日、高木さんの『こといづ』という本を読んだ。寝る前に読み始めたのだけど、身体に染み入るような言葉のつまったエッセイで、うれしいあまり、一気に読み進めてしまった。

最近『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』なども含め、エッセイ本を手に取る頻度が高くなったような気がする。思考・思想系の本を読むことが続くと、バランスを取るかのように、気軽に読めるような本をついつい手にとってしまう。同時に数10冊近くは読み進めている習慣があるがゆえに、そのあたりの「入ってくる情報のバランスを取ろう」とするところもきっとあるだろう。

『こといづ』の話にもどる。『こといづ』という本は、音楽家/映像作家の高木正勝さんが書かれた本である。「丹波篠山の小さな村で暮らす日々の驚きと発見」について、『ソトコト』という雑誌に月1回のペースで連載から収録されている。

コロナウイルスの影響を受けて、ずっと自宅にいるからこそ、大自然の中で見えたもの、感じたことについて書かれていると、自宅にいるのがさらにむずかゆくなってくる。もちろん、家で楽しめることもいっぱいあるのだけど、外、そして自然から入ってくる情報量や、エネルギーのほうが、よっぽど多いのだ。以前にタイの山奥で過ごしていた日々をなつかしみながら、『こといづ』を読んでいる。

あと、月1回のペースでそのときどきの月単位での日記をまとめていくことについても、うらやましくおもった。なので、今こうしてまとめ始めたに至る。月単位だと、ほどよく記憶や思考が寝かされた状態になる。日記はもうその日あったことを、その日のうちに外に出す作業。ただ、月1回となると、対象となる範囲は広からず、せますぎず。身体は出れなくても、思考はどんどん外に出していきたいです。

コロナウイルスについて調べていると、どうやらあの“わからなさ”というのが一番怖がられている理由だそうです。もちろんウイルスなので、かかったときの症状や後遺症などのダメージは怖いのですが、「これからいつまでつづくんだろう」「ウイルスは目に見えない。どこにいるんだろう」など、依然としてわからないことは、多くあります。ワクチンだって、開発するのにはまだウンと月日はかかるみたいです。

歴史を紐解くと、過去にも数多の感染症がありました。今みたいに交通機関が発達していない時代でも、世界中に流行が広がっていったことをおもうと、感染症の猛威っぷりには驚かされます。コロナウイルスが流行りだしたころ、「コロナウイルスにかかるのは高齢者くらいだから、大丈夫でしょ」といったときに、「いやいや、ウイルスは人がまき散らすもので、うちにはおばあちゃんがいるから、大丈夫ではないよ」といわれました。自分が誰かの加害者になる可能性があるのです。そう考えると、外出した方がいいなんてことはないなとおもい、ずっと自宅にいます。“わからないこと”については可能性の問題がつきまといます。「インフルエンザより感染リスクは低い」「交通事故で死ぬリスクより低い」など、いろいろなことを見聞きしました。あれだけ大したことのなさそうだったコロナウイルスも、今や高い可能性をもって恐れられています。そうなるのは、あっという間でした。

「ちゃんとデータを見て考えないといけないよね」という自分と、「“わからなさ”というのはデータを越えて、人を不安にさせるものでもあるな」という、二つの自分がいることを感じます。しかも、実際に感染者が増え、リスクが明らかに高くなっている今、不安にならない方が難しいという状況です。そんなことを考えながら、岸政彦さんの"私たちは、確率の数字では「癒されない」"という言葉を見てとても腑に落ちました。

不安、でいうと、もうひとつ。「経済」についての不安です。「コロナ不況で倒産が相次いでいる」「経済を回さないと大変だ」と、いろいろな声を耳にします。鳥の目で見れば、本当に経済活動がとまることで、生活が立ち行かなくなる人も多いと聞くので、「またもとのような日常が早く戻ればいいな」とおもうのですが、もうひとりの自分(であり蟻の目)としては「はて、そもそももとのような日常って、よかったんだっけ?」なんてこともおもいます。

よくよく考えると、「経済不況による大変さ」というのは、「これまでと同じように過ごす生活」が前提となっています。要するに、「これまでと同じように過ごしたい」から辛いんです。たとえば、アルバイト生活をしていたけどバイト先の飲食店が潰れてしまい、新たなバイト先も見つからず、でも家賃は毎月7万円かかる。となると、けっこうたいへんです。でも、毎月の家賃さえなければわりと大丈夫そうです。そもそもアルバイトだってしなくていいかもしれません。「そうはいっても家賃からは逃げられないよ」であれば、家賃のかからないところに住む、という選択肢だってありますし、「そうはいっても家賃低いエリアは仕事がないよ」であればエリアにとらわれずに働ける仕事にシフトする、という選択肢も今では十分にあります。

ちょっと極論すぎる例を出しましたが、「なんだか無理に、働こうとしすぎていないかな」とおもうことは、いっぱいあります。これからこの先、そこまで多くの人が働くことを求められなくなること、経済の仕組みが多層化していくことなどをおもえば、「これまでと同じように働いた方がいいんだっけ?」「経済ってそもそも回した方がいいんだっけ?」と考える余地は十分にあるとおもいます。

窓の外を見ると、雪が降り始めていました。「雪」を類語辞典で調べたところ、今の雪の感じは「牡丹雪」みたいです。こんな感じで月1くらいではせめてまとめていけたらなとおもいつつ、今日はこれにて。